2011年4月9日土曜日

ももいろクローバーとリバティーンズ(AV話しなし)

優れた音楽を聴きたいのなら、ビートルズを聴いていればいい!!
だって、ビートルズの再発がある度騒ぐなら、
もうビートルズだけでよくない?!
新譜とかいらなくない?!

と思うのはねじまがった性格の僕の事だから無視してくれてかまいません。

それにしたって、音楽に何を求めているのでしょうか??



2010年、リバティーンズの再結成ライブを見て、リバティーンズを紹介する女性アナウンサーが発狂しそうなテンションで叫んで彼らを紹介します。
僕はこれを見て、「そうだ!リバティーンズとはつまりこういう事なんだ!」と思い出すのです。

決して演奏が上手くもないし、大変に優れた音楽だとは思ってはいない(もちろん大好きな音楽ですが)、カールとピートを中心として、生み出される音楽にこれだけ熱狂させられてしまう。

メジャーデビューから、解散までわずか2年間。順風満帆とは言い難いその活動の中に、どっぷりとドラッグの魔力に浸かっているいる事を知る僕らは、数々のロックスター然としてきた人物達の歴史を、たったの一ページでも紐解けば、解散のみならず、その先に見える、「死」。そこまで考えてしまったでしょう。

破天荒で、反社会的な彼らに、どこか不器用さを見てとる事ができて、恥ずかしい事もかっこ悪い事も含めて包み隠さず吐き出してしまうような姿を見て、上記のような「誠実」さという言葉さえ使いたくなってしまうのかもしれません。

そして、包み隠さないからこそ生まれる物語。いつの間にやら僕らはその世界に入り込んでしまい抜け出せなくなる。

そして、僕にとっての「リバティーンズ」が生まれ、あなたにとっての「リバティーンズ」も生まれてしまう。

音楽だけでは語りつくす事のできない、そしていつの間にかどんなアーティストよりも近い特別な存在になってしまうのではないでしょうか。
まるで、友人のような、家族のような、自分の事のような。

彼らの再結成よりも1年前。2009年にメジャーデビューをはたしたアイドルグループがあります。

ももいろクローバー。


彼女らは、「今会えるアイドル」をキーワードに結成された平均年齢15歳の女の子達なのです。
つまり、まずは彼女らは物理的にファンにとって近い存在になろうと考えたのではないでしょうか。

2011年4月10日まで、彼女らは6人で活動をします。そして、翌日からは5人組になるそうです。なぜそんな事がおこるのか。メンバーの一人が脱退をするからです。

アイドルグループの脱退劇昨今では、話題作りか何かのありきたりの事に感じるかもしれませんが、ここに至るまで、彼女達は幾度のメンバーチェンジを繰り返してきたそうです。

今回の脱退劇とは、一説では「今会えるアイドル」という合言葉の元に、握手会をしている彼女達の中でも、脱退するメンバーには、あまり握手の列がなかった(あまり人気がなかったという事か)事かららしいです。なんだか、皮肉であり、そして非常にシビアな話しです。

実は、メジャーデビューする際にもこんな事があったそうです。

事務所で設けられたアイドル体重なるもの(身長に0.9をかけた体重が適正体重なら、アイドルは0.8をかけたものではなくてはならない)の審査に、一人でも合格できなければ、メジャーデビューは取り消しになるという試練を課せられた彼女達。しかし、メンバーの一人がそれをクリアーできずに号泣。その後再審査で、合格となりメジャーデビューを果たすのですが、以来その彼女は拒食症のような状況に陥ってしまったようです。今でこそ、回復してきている様子が見られますが、その出来事がきっかけだった事は明白でしょう。

アイドル=偶像であるならば、そんなシビアな二つのエピソードなど必要ないでしょうし、それを聞くだけでも彼女達が正統派とは言い難いアイドルグループだという事がわかるでしょう。

そして、どことなくリバティーンズの物語のような一筋縄ではいかないようなトラブルのにおい。

何の因果か、集められた平均年齢15歳の女の子達。彼女らのライブパフォーマンスとは時に汗で髪が乱れ、生歌を心情とし、激しいダンスで息を切らす瞬間がありながらも続けられます。その数、昨年は230回を超したそうです。(そう、今、彼女らは様々なジャンルの人々と対バン形式で、ライブを行っています。そこには、神聖かまってちゃんや、9mmのようなロックバンドも含まれます。)
とにかく必死に頑張る彼女達がこれでもかと伝わってくるステージ、とにかく一生懸命である姿が、僕らの胸を熱くさせるのです。
決して並大抵の努力ではないでしょうし、上記の二つのシビアなエピソードの前に、かつて脱退を決意したメンバーとは、そういった状況下に耐えられなかったのかもしれません。

ライブでこそ、その真価を発揮できるとは、まるでリバティーンズの魅力にも通じるところがあるように思うのです。

そして、音楽や、ルックス(アイドルであれば重要な事でしょう)だけではなく、むしろ、そこに見える、アイドル=偶像が見せる必要のないであろう、包み隠さない「必死」や「頑張る」という姿。そこに僕は再び「誠実」という言葉を口にしたくなるのです。

おそらく、彼女達の最盛期とは、今この瞬間でしょう。彼女達が今後洗練されて素晴らしいダンスや歌を身につけたとしても、はじめての日本青年館で、1200人を前に歌いだしから涙を流し、MCで「こういったステージでライブができる事が夢だった!」といっそうの涙を流して話す姿は見れないでしょう。
彼女達の成長とは、つまり、グループとして今持つ魅力の「死」を意味するのです。

いわば時の結晶。かつて、僕らが持っていた純真な感情を最大の武器に彼女達は歌って踊るから。

それをわかりながら、見ている事とはある種、刹那的で、再びそこにかつてのリバティーンズを重ねるとともに、逆の目線でリバティーンズを見ると、その後の物語性もさることながら、そもそもは、彼らの大人になりながらもそういった純真な感情を、ロックンロールという音楽にのせて歌っていた、唯一無二の存在だったのではないか、と改めて気づかされるのです。
そして、リバティーンズが、かつて1960年代に言われていたような、セックス・ドラッグ・(時にバイオレンス)・ロックンロールを2000年代に体現している事とは、ある種の偶像なのではないか、という感覚。
ももいろクローバーを見る事でリバティーンズが見え、リバティーンズを見る事で、ももいろクローバーが見えてくるような感覚。

最後に、もう一度繰り返します。彼女達の魅力を最も味わえるのは今なのです!!
一年後では遅いかもしれません!!

では、聴いてください。

リバティーンズの再結成ライブの中で最も僕が熱くなった演奏

そして、ももいろクローバーの「走れ」
曲間に赤い服を着た女の子が歌うソロの表情に大注目

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